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整体の効用について

魔法のよう?

愉和で操法を受けた方からの感想で、「魔法のように・・」ということをしばしば聞きます。

たぶんそれは、静かに手を当てていたり、気を充てたりするだけで大きくからだが変化し、早期に快復するのを目の当たりにされるからではないでしょうか。
ただ繰り返しになりますが、これは私が治しているのではなく、からだの方で自然と変わるようになっており、骨格も筋肉も体液も内分泌系さえも、からだ自身で具合のよいように、気持ちよくなるように自働的に調整されるからなのです。
これが、愉和の操法のヒミツです。

ヒザを曲げることができなかった高齢の方が、初回で大きく曲げられるようになって驚かれていましたが、お帰りになる際、「魔法が解けませんように」とおっしゃっていました。
「私は貴女の力を発揮できるように導くことしかしていない。ですから、解けたりなんかしませんヨ」と言いました。

「操法が終わり、立ち上がってみるとからだがもう別モノに変わっていた」というお話もよく聞きます。
よく、「一体なにをやっているのか?」というご質問をいただきます。
また、「愉和の操法のことを人に伝えたいのだけれど、どう説明すればイイのか?」という説明のしにくさのクレーム(?)が来ることも多い。
いや、私だって明確でスッキリした説明はできないのです。
というわけで、できるかぎりモノに即した形での解説を、この数章にわたってしているわけです。

ただし、すべてがこのように変化するわけではなく、必要に応じて望ましい変化を、からだ自身が選択して快復していきますが、下記のようなパターンもあります。

徐々に変化する

どんないかめしい病名がついていても、どんなに症状が激しくても、原因がシンプルであれば、その黒幕を探しあてれば上記のように早くに変化します。

ただし、原因がいくつか複合していて、それを解いていくのに段階的に進まなければならないことがあります。

この場合は、一回の操法で劇的な変化はありません。
操法を重ねていくことでよくなっていきますが、快復の流れとしてはこちらの方が望ましいと言えるでしょう。
いちどに大きな変化をしますと、ちょっとした刺激や不養生で反動を起こしやすいからです。


悪いものを出しながら快復する

バランスの崩れが、もはやいっぱいいっぱいだったり、からだの感受性が鈍っているときは、そのバランスをいったん壊さなければならないことがあります。

「不自然の自然」というように、どんなにバランスが悪くても生体はそれなりにバランスをとっています。
それを一度は破壊するわけですから、操法後、一見具合が悪くなったり、だるさや過敏な感じ、思いがけない場所の痛み(おそらくは過去の古傷)が出たり、盛大に排泄物が出たり、あるいは七色の鼻水が出たりすることもあります。
これは、からだが自律的に快復をしようとする反応で、好転反応ともいいます。

なかには最初は寝込んでしまうくらいの反応も、まれですが、あります。
ただし、それからだんだんと抜けて、軽快になるわけです。
この場合、このような反応を経ることを必要としたからだだったということです。

反応には弛緩反応(眠さやだるさ)、過敏反応(痛みや発熱)、排泄反応というような種類がありますが、必ずしも同じように、同じ順番で出るわけではありません。
強く揉まれたり、力まかせにボキボキ矯正された後に出る痛み、これは間違いなく毀された症状ですが、静かに手を当てられるような操法の後に出たものであれば、それは好転反応と思って差し支えないでしょう。

これはからだ自身が、もっとも適った快復の過程の選択した結果のものですから、そのときに出た反応は、すべて経過させるのが、からだにとって望ましいことです。
参照→「からだの要求と意識の要求(好転反応について)

どのように快復するか

愉和にお越しになる方の症状の大半は、初回から変わります。

なかには、一回で大きく変わったり、ほとんどなくなってしまうことさえありますが、それで、驚かれることが多いわけです。
ただ、もしも一回で症状がほとんどなくなったとしても、その症状を起こすに到ったバランスが解決するのには、すぐにご破算というわけにはまいりません。数回は通われた方がしっかりとバランスが安定し、再発を起こしにくくなります。

もちろんこれはからだの状態によりますので、これまでに記したなかでどのような経過をたどるかは、原因が古いかどうか、複数あるかどうかにもよります。

ただ、古くからあるモンダイや、こじれているものは、それなりの時間を必要とすることもあります。
むしろ、そのようなものを早くにムリやり治そうとしてしてしまう方が、さらにバランスを崩してしまうことにもなりかねません。

早く症状を取るために、からだにムリを強いるような治し方はしませんが、自然な快復を呼び起こしながら、できるだけムダのない、早くスムーズな快復を期しています。

むずかしいと思うこともある

ご来室される方のほとんどは、私が操法をすれば、どんなものでもスッとよくなると思われるようです。

ところが、からだ(心身=命)には絶対ということはありません。
正直な話、私でも、ムズカシイと思ったり悩んだりすることもあります。
また、薄皮をはがすようにしてよくなっていくこともあります。
このあたりは、そのからだ次第とも言えましょう。

症状の激しい方でも、スッとよくなることも多いですから、「あそこへ行けばちょいと手を当てるだけですぐさまよくなる」と宣伝してくれる方もあるのですが、すべてがすべて、そうなるわけでは残念ながら、ないのです。

逆に、症状は激しくはないけれども、潜伏するように慢性的に不快であったり、原因がいくつも重なって複雑系になっている方がこじれていることもあります。

オペや他の療法で悪化したというときも、ほとんどは早くによくなりますが、こじれている場合はやはり厄介です。
ボルトで固定されていたり歯をいじり過ぎていたり、また人工関節などを入れておられる場合は、やはり難しくなっています。

またたとえば肝硬変など、もはや器質破壊と思われるものはなんとも言えない面があります。
しかし、現代の常識や観念をそのまま鵜呑みにすることだけは避けようと思っています。

最後にガンですが、これは私がこの世界に入るきっかけとなった病です。
これまでヘルニアやぜんそくやうつ病などは、対症療法の裏をかくかのように大本から快復をさせたこともあり、いわば、出し抜いてきたと言ってよいでしょう。
ところが私もずいぶん研究しましたし、いくつか手ごたえはありますが、しかしガンだけは、まだまだわからない。

療法の種類を問わず、現代医学の世界、心理学の世界、精神世界を問わず、研究においては私はいつでも協力を惜しまない心づもりです。

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