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自然とともに

暮らしのそばに自然を

人は、日々の生活のなかに自然がなければ、生きてはいけないのではないかと、フと思うことがあります。

自然ってなんだ!?という話になるとややこしくなりますが、たとえば木が植わっているとしますと、広葉樹系でもイチョウでも紅葉(黄葉)したり、葉が落ちたりしますよネ。
それによって季節感の鈍ってしまったからだに、四季の移り変わりを若干でも染みこますことにもなりましょう。

蝶々や甲虫を見かけたりしますと、その見事なシンメトリーに思わず見とれてしまうことはないでしょうか。
玉虫の、あの美しい発光するような羽を見て、自然の偉大さに驚嘆することはないでしょうか。

もしかしたら、こんなささいな驚きや発見で、からだも、とても助かっていることがあるかもしれません。

気温の高低、天候の移り変わりなどは、ときとして人間にとって脅威となります。
その、自然の変化をできるだけ抑え、可能なかぎりダメージを受けず、できるだけ快適にしようとしてニンゲンは今日の文明を築いてきました。

温度を調整できる部屋、真っ平らな道、高速での移動・・

しかしこのようになったのは、長くみつもってもここ数百年のことで、何万年も自然とともにあったDNAはそうそう変わらず、それもまた、もしかしたらある種の負担をかけているのではないでしょうか。

実は、真っ平らなところを歩くというのは、からだにとっては快適なようで負荷がかかります。
昔はそんなペッタンコなとこなんてなかったわけですから、さまざまにバランスをとりながら歩いたり移動したりしました。
それがノペっと平らになったわけですからバランスをとる動作がなくなり、どうしてもからだの重心が、容易に変わりやすくなります。

また、最速の生物が移動できる速度はせいぜいがとこ時速100キロですが、それよりも何倍ものスピードで、しかも長時間移動できる、これもまたDNAには書かれてないことでしょう。

山の一夜

日本は特にそうですが、住宅費が高い。
一生モンです。
そんな状況なのに、知っていて欠陥品を販売したりする人がいる。

モンゴルの遊牧民の家はゲルといって、カンタンに畳んだり移動したりできます。
値段だって、さほど高くはないでしょう。
気ままにゲルに棲んで、自然のいとなみを感じながら静かに生活することを、ときおり頭に思い描いたりしてきました。
実現するのはムズカシイのですけど・・

そのかわりと言ってはナンですが、以前にはよく山深く分け入り、そこで一夜を過ごすことをやっていました。

最初はコワいんですね。
人家も明かりもないし、人里遠く離れたところでたったひとり・・、クマが出てきたらどうしよう・・
そんなとき、小さな火がどれだけありがたいか。

意外かもしれませんが、山奥でも、なかなか満点の星というのはお目にかかれないものです。
しかしながら森閑とした清冽な森の空気と匂い、それらをはらんで吹き抜ける風の五感に染みいる感覚の豊かさ、これは都会では味わえません。
これはなにものにも代え難い。

また、新月でいっさいの明かりもつけてないのに、まわりがなんとなく明るくて、けっこう遠くまで見渡せることがあります。
チョット不思議に思いましたが、ほどもなく理由がわかりました。
夜空にまたたく星が、山を微光で照らしていたのです。

落ちている木を集めて薪にし、小さな火を起こします。
油の多い針葉樹の木は、ときおりポッとはぜて、火の粉が舞い上がります。
木の燃えている匂いもまた、普段では味わえない。

こんなとき、頭がどんどん空っぽになっていって、あたかもなにもなくなったようになり、そこに、ある種の永遠が見えるような気がしてくるんです。
ひとり自然のなかに身をおくことで、すべてとつながったような感覚、これもまた宇宙感覚かもしれないなァなどと思うのでした。

焚き火のなかに一本、長い薪を差し、燃えさしでタバコに火を点けます。
地酒が、五臓六腑に染みます。
この上ない、贅沢。

※写真はいずれも美ヶ原、ビーナスラインの近く

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