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なにをやってもよくならないのは?

いろんな治療法を試してみたが・・

愉和にご来室される方のなかには、これまでどこへ行ってもよくならなかったという方、なにを試してもダメだったという方も少なくありません。

お話をうかがうたびこころが痛みますし、ぜひ早くよくなっていただきたいという素朴で、なおかつ強い気持ちが湧いてきます。
これは、この仕事をやっていれば誰でも同じではないでしょうか。
幸い、喜んでいただくことが多いのですが、ただし、やはりゼッタイということはありません。
やっかいになっているものは難儀するでしょうし、複雑系にこじれている場合はからだを読みにくくなっていることも考えられます。
時間がかかるものもありますし、そもそも、どのような療法を駆使しようとも、快復が困難なこともあるかもしれない。

正直、遠く新幹線や飛行機で、私のところのような粗末な操法室にお越しになる方の気持ちを想いますと、とてもプレッシャーは大きいものです。
常にあらゆることを想定し、いかなるものにも対応できるようにしておきつつ、さりとて「オレが治す」というような邪心も持たぬようにもしなければなりません。
が、しかしそれでも100%を治癒に導くことは、神様でもないかぎり難しい。
ですから毎日、悩みの連続です。

なぜ、どのような治療法でも快復しなかったのか

世にはさまざまな治療法がありますが、それは一定の治療理論と手法にしたがっておこなわれています。

私は、まとまった理論に束ねられることこそが、想定外を生み出すのではないかと思っています。
これは、科学でも同じですネ。
理論によって束ねられれば束ねられるほど、そこからこぼれ落ちるものが出てくる。

もしかしますと、束ねようとする時点においてすでに、誤謬を生み出す運命をはらんでいるのかもしれません。
ハイゼンベルクは量子論のなかで、ついに明確な時間と位置(空間)を測定することが不可能であることを覚り、「不確定性原理」を提唱しました。
してみると、手法や理論にしがみついて治療をしている姿というのは、宇宙時代にニュートンの慣性の法則でもって対応しようとしている姿になぞらえるのかもしれません。

もちろん、いずれの理論も、間違いではない
ただし、ひとつの理論で全部を包括しようとするのは、ムリがあります。
治療の功を奏さないケースは、その治療家の持てる理論の範疇から外れ、はみ出した状況があるのでしょう。

たとえば脊柱の歪みにすべての病気の原因があるとする理論があるとしますと、仙腸関節の痛みには、どうやったって対応できません。
ただし、だからといって、あちこちいろんな理論を収集して、闇夜に鉄砲を撃つようなことをしても、これもまた節操がナイ。
主体性なくして、知識だけを空虚に集めても、徒労に終わりましょう。

このように、なにかしらの理論に寄りかかってしまう姿勢こそが、イザ難しくなった症状や病気に相対してみたときに、歯が立たなくなってしまう理由の最たるものなのではないでしょうか。

それがどんなに偉大な人の教えでも、盲目的に取り入れ、反復するだけでは、その教えを存分に生かすことはできません。

最終的には理論に頼るのではなく、生命体としての直感生命を信頼するこころ、これこそが大切なのではないでしょうか。

愉和では、その方のすべてをまず、受け入れます。
こころの持ち方、からだの症状、病気をまるごとひとつのものとして。
そしてからだの要求感覚、すなわち生体が起こそうとする反応を聞き分け、そのあるがままをあるがままに出させます。
これが、自然な快復への契機となります。
理論によって、作為的に、またマニュアルにしたがって治そうとするものではなく、おのずから治ろうとする反応を引き出す、このことに尽きます。

もしも他の療法との違いがあるとしたら、ただにこの一点に尽きるのではないでしょうか。

患部にとらわれない

上記をさらに具体的に言いますと、「患部だけにとらわれない」ということです。
患部というのは現時点での最終的な結果としてのもの以上ではなく、枝葉末節だという見方が肝要です。

たとえば手のしびれの原因が、一部の頚椎を引っ張っているお腹のコリであることもありますし、胸のこわばりが背骨に圧迫をかけて頭部への流れを阻害してめまいが起こっていたり、パーんと張った肩のコリが首筋の硬直が原因だったりすることもあります。

要は、まさに全身を診るということです。
ただしこれは、からだ全体をまんべんなくいじるということではありません。
必要のある箇所のみ、的確にアプローチするということなのです。

原因不明の全身不調

辛い症状を、A4版の用紙にズラーッと一面に書いてきた方がおられました。
大儀で、いつもだるい、あたまが重い、ぎくしゃくする、とにかくシンドイとのことでした。

その方は、ずいぶんといろいろな療法を試されたらしい。
しかしどこでも原因わからず、なかなか改善されない。
一見、普通に見えますので、よけいに周囲に理解されず、辛いこともおありになるようです。

私が診てみますと、股関節~ヒザ~足首の関節がそれぞれちぐはぐで、重心が外側に行っており、モモからふくらはぎの筋肉も縮こまって硬くなっています。
これでは血流が悪い。

また、肩もズレや硬直があり、それが鎖骨や肩甲骨、胸骨を介して肋骨の可動性を悪くしており、首も硬くしている。
呼吸も浅くなり、頭部へのエネルギーも行きにくいでしょう。
要はつまるところ、全身こわばっておられる。

結果から言いますと、それぞれをほどいてゆきましたので、初回から大きく変わりました。
それから操法を重ねるたびに、A4用紙に書かれた個条書きの症状が着実に減ってゆきました。

このケースも、方法論にはとらわれず、ていねいにからだを診、つっかえているところをほどいた結果、はじめて「快復」ということを感じたとのことでした。
背骨の矯正や、骨盤だけの矯正をいくらうまく、たくさんやったって、効果がないことも多いのではないでしょうか。
要は、そのからだに適ったものでなければ意味はない。
逆にいえば適ったものであれば、手を当ててあげるだけで充分です。

取れない頭痛と開かない顎

いわゆる普通の顎関節症というのは、さほどむずかしくありません。
ところがこの方は特殊で、どうもからだの歪みからきているアゴの症状ではないようでした。
どこがどうなってその症状が出ているのか、なかなか読むことができない。
「これは、ムズカシイかな~・・」と最初は思いました。

その方というのは、まだ20代で、ずいぶん前からその症状で悩み、歯科をはじめ、いろいろな手法を試した来られたとのことでした。
しかも、ずいぶんとお金もかけてこられたらしい。
それで改善していないのは、気の毒なことです。
なんとしても、早くによくなっていただきたい。

で、この方も全身のバランスを整えることで初回で大きく変わり、「一回でこんなによくなるなんて、経験をしたことがなかった」そうです。
やはり、形にこだわって一カ所をゴリゴリ押したり引いたりするべきではなく、全身にアプローチをし、その返ってくる反応に応じて操法をすべきなのでしょう。

足からはじまり、全身の流れ、各関節の調整、そして頭部の調整・・
合計で3回ほど操法をしましたが、それでとにかく頭痛もおさまり、口も開くようになったとのことです。
問題がすべて解消したという感じではありませんでしたが、あとは様子を見ながら、適宜操法をおこなえばよいでしょう。

私としては上記のごとく、からだの反応のままに操法しましたが、この方の場合、いまだに的確な読みができたとは思えてはいません。
あまりに複雑な状況がありましたので、最後までは解読ができなかったのです。
とはいえ、お金をさほどかけることもなく、これまで悩んでいた症状がよくなっていただいたので、まずはよかったです。

このように、整体とは形を整えることではなく、言ってみれば気の流れを整えることと申しあげて宜しいでしょう。
気の流れが整えば、形はあとからついてきます。
そのためには力ではなく、からだを読み解くこと、そして、からだを信頼し、その反応を静かに聴き取り、まかせることが大切なのではないでしょうか。

私は、もっともっと上手になりたい。