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健康コラム④

ここでは愉和の清水がテーマに沿ってお話していきます。
『経過』について。

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最近、スローライフであるとかスローフードという言葉が流行っているようです。
分刻み秒刻みの合理主義的な生活を続けているうちに置き忘れてしまうものがあり、でもそれは大切なもので、私にはそれを取り戻そうとしているように見うけられます。
しかしながら、こういった生活態度の方面でゆったりしたものが主張されるなかで、からだのなかでおこなわれるべきスローな運行がなおざりにされているのではないかという危機感も、一方ではあります。

それはなにかといいますと、生体が、その内側で「必要とする行程」の他ではなく、これを一般に、「経過」という謂い方をします。
たとえば風邪を例にとってみれば、悪寒がしてから発熱があり、それが上がり、上がりきると自然に下がり、一旦平熱よりも下がってしばししてから元に戻ります。通常、このような一連の流れがあり、これを順当な経過と看ます。
これは、からだが偏り疲労を起こしていたり気血の流れが滞っていたりするときに排泄の要求が起こり、必要があって風邪の症状を起こすことが多いのですが、このような流れをきちんと送ることが、言ってみれば生体におけるスローライフといえるかもしれません。
ところがそれを解熱剤や抗生物質で遮断し、症状を消してしまいますと、必要な行程がおこなわれず、なんとなくすっきりしません。
風邪の多くはからだをリセットしようとする反応の表れで、その経過をつつがなくおこないさえすれば、さっぱりとして更なる健康を手にすることができます。
ところが人工的に遮断しますと、せっかくの自然治癒力の発揮する機会を摘んでしまうことになりますので、からだの持っている自然の良能を鈍くさせてしまうことにもなりかねません。
下痢をしたりすれば整腸剤、風邪の引き始めにお薬と注射、皮膚が荒れればホルモン剤など、作為的な「治し」を受ければ受けるほど、自然治癒力は萎縮してゆきます。
基本的に庇(かば)われれば庇われるほど、弱くなります。

実は病気のあるなしよりも、そのようなことを繰り返して来、鈍ったからだになってしまうことのほうが恐いです。
鈍くなりますと、適宜各種反応や変動を起こしてからだの自発的調整をする能力を欠いてしまいます。
たとえば悪いものを食べたときに嘔吐したり、下痢したりするのは健康だからです。これができないと悪いものはからだにとどまります。また、風邪を引いて熱が出たけど下がったらさっぱりした、これも健康だから順当な経過をしたわけです。

ただ、スローな食事や生活を送ろうといった風潮や、症状を経過しようという主張に対し、一方では「忙しくてそんな悠長なことはやってられない」と言われる方もおられましょう。
しかしながらからだを敏感に保つことで、早い経過をさせたり、いろいろな変動にも弾力をもった対応のできる生活を送ることは可能です。それはまず「薬に頼らないこと」、そして活元(自働運動)やひとり操体などをおこなってからだとの対話をし、その深度を深め、感受性を豊かにすることです。また、「気持ちをゆったりさせること」も大切です。気持ちひとつで、病気も変わります。

繰り返しになりますが経過とは、いうまでもなく、「おこなわれるべき行程」のことです。人生を送るあわいにおいても、さまざまな経験を経るなかで、大切にしなければならないもの、愛するもの、智慧、哀しみなどがわかってきますよね。そして深みを増し、円熟していくのだと思います。
ただし、現在は合理主義の下、そのようなものは二の次三の次とされ、ただの形骸化した教えがあるのみで、実体のないものになってしまっているのではないかと、危惧いたします。そして真剣に学ぶ、無心に遊ぶ、真摯に敬う、誠に愛する、そのようなことがらが廃れてきている気がいたします。
世のなかはどんどん忙しくなり窮屈になり、閉塞感に充たされてきております。どうかこころのなかにだけでもスローな、ゆとりのある、「経過」を見守るようなマインドを持っていただきたいものだと思います。